名古屋コーチン親子丼の名店「鳥開総本家」|名古屋めしの魅力を世界へ届ける挑戦

2000年、名古屋駅西口にわずか10坪ほどの居酒屋「鳥開」がオープン。名古屋コーチンを看板に掲げた、小さな挑戦の始まりだった。

2007年に居酒屋「鳥開」から親子丼「鳥開総本家」へと名称・業態を転換することで、名古屋と東京を中心に、国内外で店舗を展開する鶏料理の名店となり、「名古屋めし」の一つに名を連ねるまでに成長した。

「食への追求と、おもてなしの心」を原点にスタートした「鳥開」。

素材の力をシンプルに引き出し、食べる人の心を満たすこと。

そして、安定して届けられ、幅広い人に親しまれてきた鶏という食材の魅力を最大限に活かすこと。

創業から変わらない、この二つの想いがあるようだ。

今回は、名古屋コーチン一筋で鶏料理の世界へ足を踏み入れた、「鳥開総本家」を運営する株式会社プログレの代表取締役を務める西村和則氏に、鳥開総本家の歩みと名古屋めしを世界へ届ける展望について、話を伺った。

目次

名古屋コーチンを使った「鳥開総本家」の歩みと原点

鳥開総本家の原点は、西村氏の「好き」にある。

「若い頃から、食を通して人の心を満たし、日常に価値を生み出す仕事に携わっていきたいと考えてきました。食に関わることは、人の心を動かし、日々の暮らしを豊かにできる点に魅力を感じており、人と関わることが好きな自分にとって、飲食の道は自然な選択でした」

三重県伊勢志摩の漁師町で育ち、漁師の父を持つ。魚市場が身近な存在だったが、西村氏が選んだのは鶏だった。

「子どもの頃、クリスマスのチキンの手羽元にかぶりつくのが大好きで。それなら鶏を使った飲食店がやりたいと思いましたね」

と当時を思い出して、西村氏は嬉しそうに振り返った。

2000年、名古屋駅の西口に小さな居酒屋「鳥開」をオープン。焼き鳥、手羽先、唐揚げを三本柱にスタートした。

当時、地元にはすでに、2つの手羽先唐揚げ店の大手チェーンがあったが、「鳥開」はあえて、名古屋コーチンの手羽先で勝負する道を選んだ。

「名古屋コーチンの手羽先は扱いが容易ではありませんが、その分、素材の力をしっかりと感じていただけると考え、あえて名古屋コーチンにこだわりました」

名古屋コーチンは決して安価なものではなく、大量生産もされていない。その理由は、適切な飼育環境を保つため、生産数には限りがあり、生育するのに手間暇がかかるからだ。取り扱える飲食店は限られているため、他社が簡単には真似できない参入障壁の高さが、そのまま「鳥開」の強みになったのだ。

また、西村氏は名古屋コーチンの味にも一目置いていた。しっかりとした歯応え、噛むほどにあふれるジューシーな甘み。それは他の鶏肉では決して味わえない、名古屋コーチンだけが持つ特別な旨さだった。

「鳥開」から「鳥開総本家」へ。時代の流れを読んだ業態転換

転機が訪れたのは2007年。西村氏は、居酒屋業態から親子丼を主力とするレストラン業態「鳥開総本家」への転換を決断する。背景には三つの理由があった。

一つ目は、名古屋コーチンの手応えだ。

愛知県で開催された、2005年日本国際博覧会(通称: 愛・地球博、愛知万博)。西村氏の出店ブースでは、ノーブランドの鶏肉の串焼きと、名古屋コーチンの手羽先や串焼きも並べた。

当時、一般的な鶏肉の仕入れ価格と名古屋コーチンの価格差は約10倍。当然、名古屋コーチン商品の方が値段は上がる。

しかし、いざお店がオープンすると、お客様が注文するのは名古屋コーチンの商品ばかり。

「ブランド力があれば、値段は関係ないのかもしれない。名古屋コーチンの専門店としてやっていけると思いましたね」

と当時の驚きを西村氏は語ってくれた。

二つ目は、時代の変化だ。

社会の流れとともに外食のあり方が見直される中で、提供する価値そのものを見直し、夜の時間帯中心の営業から日常に寄り添うかたちへと舵を切った。

昼の業態に転換することで、若者の利用が増え、商業施設の出店が決まり、結果的に「鳥開総本家」は名を広めることとなった。

三つ目は、名古屋めしへの参入だ。

当時、名古屋めしといえば味噌カツ、味噌煮込みうどん、ひつまぶし、手羽先。すべてが単品メニューで、ランチ需要の「ご飯もの」がなかった。

名古屋コーチンという食材を使った親子丼なら、名古屋めしの新たな柱になれると、西村氏は確信していたという。

時代の流れを読んだ業態転換が、「鳥開総本家」を名古屋めしの一角へと押し上げた。

「鳥開総本家」が追求する名古屋コーチンのこだわり

西村氏が名古屋コーチンに惚れ込んだ理由は、その唯一無二の肉質にある。

「しっかりとした弾力があり、ひと口ごとに旨みがにじみ出ます。他にはない独特の風味と、あふれる旨みが印象的です」

名古屋コーチンは繊細な鶏で、ドアを閉める音でさえ敏感に反応する。飼育環境とのバランスを考慮しながら育てており、一羽一羽の状態に目を配りながら、それぞれに応じたきめ細やかな飼育が行われている。

一般的なニワトリは60日~70日で出荷されるのに対し、名古屋コーチンは130日~140日で出荷される。手間もコストもかかるが、飼育期間が長いほど脂が乗っておいしくなる。

大切に育てられた鶏を、最高の状態で届ける。鳥開総本家がもう一つ追求するのが「鮮度」だ。

「当日朝、もしくは前夜に丁寧に仕込みを行った鶏を、新鮮な状態で各店舗へお届けしております。冷凍の鶏肉はご提供しておりません。」

と、西村氏は鮮度のこだわりを明かしてくれた。

お客様の声から生まれた、名古屋コーチン親子丼

鳥開総本家の看板メニューである名古屋コーチン親子丼。その誕生には、西村氏の意外な原体験がある。

「子どもの頃から、すき焼きが好きだったんです。食べ終わったタレを次の日の朝、ご飯にかけて、生卵をご飯の上に置いて、混ぜて食べるのも楽しみでした。だからうちのタレは、すき焼きのタレをイメージして、甘めなんです」

当時を思い出す西村氏は笑顔だ。

「鳥開総本家」の一号店が構えられたのは、名古屋・栄の商業施設「ラシック」。若い世代を中心に感度の高い人々が集う、賑わいのある場所だ。

当初は炭火焼親子丼を提供していたが、ラシックで実施されたお客様アンケートをきっかけに、「名古屋コーチンの親子丼を食べたい」という声が数多く寄せられた。そこから、看板商品となる名古屋コーチン親子丼が生まれることになる。

丼の中央に据えられるのは、名古屋コーチンの生卵。艶やかに輝く卵の上にそっと添えられた黄身は、箸で持ち上げられるほど濃厚で、深みのある黄金色をたたえている。

蓋を開けた瞬間、思わず声が漏れるほどの高揚感。その体験は、瞬く間に話題となり、若い世代を中心に広がっていった。

名古屋コーチン親子丼は鳥開総本家の代名詞となり、唯一無二のおいしさと、目を奪う華やかなビジュアルが、その名を全国へと広げていった。

熟練技の卵とじ、こだわりの出汁

卵のとじ方ひとつで味が変わるという親子丼は、まさに職人技の世界だ。

ガスとIHでは仕上がりが異なり、冬と夏で卵の状態も違う。火加減を見極める「鍛錬」は、熟練した職人の感覚に委ねられている。

卵のとじ方を身に着けるには、「習うより慣れろ」で、回数を重ねて練習するしかないという。

「丁寧に一杯だけなら簡単に作れるんですよ。それを何杯も同時進行で作るのはかなり難しい。まさに熟練の技なんです」

ぜひ店舗でそのおいしさを味わってほしいと西村氏は語る。

さらに驚かされるのは、関東と東海で親子丼の出汁を使い分けている点にある。

各地域の食文化や味覚に寄り添いながら、味わいを丁寧に調整しているのだ。

熟練の技による卵とじと、その土地の人々に親しまれる出汁。

一杯の親子丼に重ねられた細やかな工夫の一つひとつには、おもてなしの心が込められている。

その積み重ねこそが、「鳥開総本家」をまた訪れたくなる一軒へと導いているのだろう。

名古屋コーチンを世界へ。「鳥開総本家」が描く未来

「名古屋コーチンは、世界中の人が食べに来てくれる未来が見える」と西村氏は、3つの理由を語る。

一つ目は、鶏肉は、牛肉や豚肉に比べて味わいが穏やかで、幅広い人に親しまれている食材。そのため、さまざまな地域や食文化においても受け入れられやすいのが特徴だ。

二つ目は、愛知県には、一杯の丼で食事として満足できる食文化が根付いていること。

「名古屋コーチン親子丼を、愛知県の瀬戸焼や常滑焼の丼で提供します。なぜ重い器なのかと聞かれたら、ご飯があたたかいまま食べられるからですよと伝えると、日本のおもてなしにも繋がります」

食材としての名古屋コーチン、名古屋の醸造調味料で仕立てたタレ、そして地元の焼き物の器。まさに「愛知の食文化」そのものだ。

三つ目は、名古屋コーチンが、公的な基準のもとで品質や価値が確立されていること。

名古屋コーチンは、愛知県と名古屋市により品質が厳格に守られている。その揺るぎない基準が、ブランドとしての信頼を支えている。

食品の魅力をより広く伝えていくためには、多様な主体が関わりながら発信していくことが重要だと感じていると、西村氏はいう。

「神戸牛が海外では日本を代表する牛肉として認知されているように、名古屋コーチンについても、今後さらに認知が広がっていく可能性があると感じています。そのためには、生産者や事業者、行政機関等と連携しながら、継続的に魅力を発信していくことが重要ではないかと考えています」

うまい鶏を、もっと先へ──名古屋めしとともに、次の時代へ

「名古屋コーチンがもっと世界に羽ばたいていけるよう、その魅力を広く伝えていきたいと考えています」

笑って語る西村氏の言葉の裏には、名古屋コーチンへの深い愛情、「食への追求と、おもてなしの心」がある。

鳥開総本家は、全国丼グランプリ親子丼部門で9度の金賞、からあげグランプリ手羽先部門では初代最高金賞。数々の受賞が裏づけるのは、四半世紀にわたって味を磨き続けてきた実力だ。

時代とともに業態を変え、各地域の食文化や嗜好に寄り添いながら味わいを調整し、鮮度のよい食材を使うこだわりは変わらない。その一貫した姿勢が、鳥開総本家を名古屋めしの一角として親しまれる存在へと育んできた。

名古屋から世界へ──鳥開総本家の挑戦は、まだ始まったばかりだ。

株式会社プログレ
代表取締役 西村和則
2000年に名古屋駅西口で居酒屋「鳥開」を創業。2007年に「名古屋コーチンの親子丼」を主力とする「鳥開総本家」へ業態転換し、名古屋と東京を中心に国内外で鶏料理専門店を展開する。全国丼グランプリ親子丼部門で9度の金賞、からあげグランプリ手羽先部門で最高金賞を受賞。名古屋コーチンを広めた鶏料理の第一人者として、世界に向けて「名古屋の食文化」の発信に取り組んでいる。

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