名古屋城の歴史をわかりやすく解説!しゃちほこの秘密と本丸御殿の魅力を紹介

名古屋のシンボル「名古屋城」は豊かな歴史を誇る壮大な城郭ですが、多くの観光客が気になるのが「名古屋城の歴史」ではないでしょうか。
名古屋城は徳川家康の命により1610年に着工され、豊臣家への備えと徳川家の権威を示す目的も含んだ一大プロジェクトでした。
那古野城があった地に建設された名古屋城は、当時の最先端技術を結集した近世城郭の完成形として誕生。
本記事では、織田信長も居住した那古野城からはじまる名古屋の地の歴史、名古屋城の建設背景と築城過程、江戸時代から現代までの歴史的変遷を詳しく解説します。
さらに、2018年に復元が完了した本丸御殿の歴史的価値や、現在進行中の木造天守閣復元計画など、名古屋城の歴史を現代に蘇らせる取り組みについても紹介します。
城内散策の際に立ち寄りたい「金シャチ横丁」の魅力についても紹介。
名古屋の歴史と食文化を一度に満喫できる、充実した名古屋城観光プランに役立つ情報をお届けします。
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引用:名古屋城公式サイト
現在の名古屋城がある場所にはかつて「那古野城」という城が存在していました。
室町時代に建てられた「那古野城」には若き日の織田信長が居住していたこともあり、尾張の地が歴史的にも重要な場所であったことを物語っています。
その後、尾張地方の政治・経済の中心は清須城へと移行。
織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を破り尾張国を統一したことで、尾張地域の重要性はさらに高まりました。
豊臣秀吉による天下統一の過程でも戦略的要衝としての役割を担った尾張地方は、名古屋城建設以前から日本史における重要な場所だったのです。
名古屋城の建設
名古屋城は徳川家康の命により、1610年(慶長15年)に着工され、1615年(元和元年)に完成。
築城の背景には、清須城の地形的脆弱さを避けるため、名古屋の台地に拠点を移す「清須越」がありました。
清須は低地に位置し、河川に囲まれた水害リスクの高い地域であったのに対し、名古屋は洪水リスクが少なく防衛上も有利な立地。
史上最大級の規模を誇る天守閣には象徴的な金鯱が飾られ、高度な石積み技術を用いることで堅固な防御性を実現するなど、当時の最先端技術が導入されました。
建設には「天下普請」として、加藤清正や福島正則など20以上の外様大名を動員し、大坂の豊臣家への備えと徳川家の権威を示す目的も含まれていました。
名古屋城の建築的特徴
名古屋城の建築的特徴は下記の通りです。
天守閣の構造と特徴

名古屋城の天守閣は、大天守と小天守を連結した層塔型構造で、地下1階を含む5層6階建ての壮大な建築です。
天守台の高さ19.5メートル、建物部分36.1メートルを合わせた総高さ55.6メートルは、江戸時代を通じて現存した天守として最も高いものでした。
この設計は政治権力の象徴としての役割を果たし、名古屋城の威厳を際立たせています。
しゃちほこの歴史と意味
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名古屋城天守閣には金鯱(しゃちほこ)が飾られています。
しゃちほこは火除けの守り神として寺院や城に取り入れられたもので、徳川家康が権威を示すために金色に装飾したものを設置しました。
金鯱は名古屋城の象徴として現代でも広く知られています。
城郭としての機能と防衛システム
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引用:名古屋城公式サイト
名古屋城は、自然地形と人工構造を巧みに組み合わせた防衛システムを備えています。
北側には高さ約10メートルの崖状地形があり、その下には足場の悪い低湿地が広がっていました。
崖状地形による自然の障壁は、敵軍の北側からの侵攻を困難にし、兵士や装備の移動を著しく制限しました。
一方、南側には広大な平地が広がり、二之丸や三之丸など複数の曲輪(くるわ)を配置することで防御を強化。
曲輪とは、城を構成する区画のことで、地面を削って平らにし、堀や土塁で囲んだ部分を指します。
曲輪は城の防御を強化するための重要な要素であり、軍事的・政治的意図を持って配置されました。
特に広大な敷地を持つ三之丸は、敵軍が本丸まで到達するのに時間を要する構造。
曲輪間には死角を排除する工夫が施され、侵入者に対して効率的な銃撃や矢による攻撃が可能でした。
各区域が堀で分断された攻め入りにくい構造からも明らかなように、名古屋城は単なる権力の象徴ではなく、戦略的に計算された高度な軍事施設として建てられたのです。
江戸時代における改修や拡張

引用:名古屋城公式サイト
江戸時代には名古屋城の維持・修復が定期的に行われました。
1696年と1730年には金鯱の修理が行われ、その他にも本丸御殿や隅櫓などが改修。
修理と改修によって名古屋城の壮麗な姿が守られてきたのです。
城下町の発展との関連性
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名古屋城築城に伴い「清須越」が行われ、町全体が清州から名古屋へ移転。
徳川家康は碁盤割(碁盤目状)の町割りを採用し、武家地、町人地、寺社地を整然と配置することで効率的な都市計画を実現しました。
この町割りは現在の名古屋市中心部にも影響を与えています。
本丸御殿の歴史と文化的価値
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引用:名古屋城公式サイト
名古屋城本丸御殿は、江戸時代初期の武家建築の最高峰であり、歴史的・文化的価値は計り知れません。
1612年に建築が始まり1615年に完成した本丸御殿は、初代尾張藩主・徳川義直の住居として建てられました。
書院造の建築様式が採用され、部屋ごとに異なる天井や欄間、飾金具など格式高い設計が特徴です。
内部には狩野派による1,047面もの障壁画が描かれ、現在は重要文化財に指定されています。
1620年に徳川義直が二之丸御殿へ移った後、本丸御殿は将軍の上洛時の「御成御殿」として使用されました。
1634年には三代将軍・家光の上洛に合わせて「上洛殿」や「湯殿書院」などが増築され、迎賓機能が強化。
明治時代には陸軍司令部や名古屋離宮としても利用されましたが、1945年の空襲で焼失しました。
2009年から始まった復元事業では、江戸時代の記録や実測図を基に忠実な再現が行われ、2018年に完成。
現在の本丸御殿は、当時の建築技術や美術、文化を今に伝える貴重な文化遺産として多くの人々に親しまれています。
現代の名古屋城復元プロジェクト

名古屋城では、失われた歴史的建造物を取り戻すための大規模な復元プロジェクトが進められています。
戦災で焼失した名古屋城の歴史的価値を復活させるため、豊富な史料に基づいた忠実な復元が進行中。
本丸御殿の復元が完了し、次は木造天守閣の再建へと計画が進展しています。
木造復元プロジェクトは、文化財としての価値を高めるだけでなく、観光資源としての魅力向上も目指しています。
本丸御殿の復元事業は2009年に開始され、伝統工法を用いた忠実な再現が行われました。
3期に分けて進められた工事は、2013年に玄関・表書院、2016年に対面所・下御膳所が公開され、2018年に上洛殿の完成をもって全面公開。
大工や石工、左官など多くの職人が参加し、1,325面もの障壁画の模写を含む伝統技術の継承の場ともなりました。
木造天守閣再建計画は、現在の鉄筋コンクリート製天守閣を取り壊し、1615年に完成した当時の名古屋城本来の壮麗な姿を取り戻す計画です。
しかし、石垣保存方法やバリアフリー対応などの課題が残されており、当初2020年完成予定だった工事は遅延し、現在では最短でも2032年度の完成予定。
名古屋城の復元プロジェクトは、単なる建物の再建ではなく、歴史と伝統技術の継承、そして現代の安全基準との両立という複合的な意義を持っています。
市民や観光客からの期待も高く、完成した暁には日本を代表する歴史的建造物として新たな魅力を放つことでしょう。
名古屋城を楽しむためのガイド
名古屋城は歴史的な魅力だけでなく、観光地としても多彩な楽しみ方ができるスポットです。
季節ごとの見どころや人気のイベント、おすすめのエリアについて詳しく紹介します。
季節ごとの見どころ
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(画像右:名古屋城公式サイトより)
名古屋城は四季折々の自然が楽しめる観光スポットです。
春には約900本の桜が咲き誇る「名古屋城さくらまつり」が開催されます。
ライトアップされた夜桜は特に幻想的で、多くの観光客を魅了します。
秋には紅葉が美しく、二之丸庭園では鮮やかな秋景色が広がります。
四季を通じて異なる表情を見せる名古屋城は、何度訪れても新しい魅力を発見できる観光スポットです。
おもてなし武将隊
【#名古屋城】
本日2月23日(日)は織田信長様、前田利家様、前田慶次様、踊舞さん、なつ が出陣!《演武/二之丸広場にて》
●11:00~(演武後12:00までおもてなし)
●14:30~(演武後16:00までおもてなし)快晴の尾張でお待ちしておりまする!
— 名古屋おもてなし武将隊 (@nagoyabushotai) February 23, 2025
名古屋城の観光をさらに盛り上げる存在が「名古屋おもてなし武将隊」です。
織田信長や豊臣秀吉、徳川家康など、愛知県にゆかりのある戦国武将に扮したメンバーが観光案内や演武を実施。
演武では殺陣や寸劇、甲冑ダンスなどが披露され、写真撮影や交流も楽しめると歴史ファンや家族連れに人気のイベントとなっています。
金シャチ横丁

名古屋城の正門前と東門前には、地元グルメやショッピングが楽しめる商業施設「金シャチ横丁」があります。
名古屋城の有料エリアは、チケット購入後も再入場ができるので、城と金シャチ横丁を行き来する楽しみ方もおすすめです。
例えば「義直ゾーン」で伝統の名古屋グルメを堪能して、名古屋城見学へ。
その後「宗春ゾーン」でカフェ休憩を取った後、チケットを提示して名古屋城に再入場。
見逃した場所などを改めてじっくりと散策し、最後に「義直ゾーン」でお土産探しというプランを楽しんでみてはいかがでしょうか。
(※)名古屋城の有料エリアの、入場チケット購入後の再入場については、名古屋城総合事務所もしくは、現地名古屋城係員までお尋ねください。
尾張徳川隊との特別な出会い

金シャチ横丁では「尾張徳川隊」という特別な歴史体験を提供するパフォーマンス集団が活躍。
現代によみがえった名古屋城初代藩主・徳川義直と七代目藩主・徳川宗春に扮し、尾張名古屋の豊かな歴史と伝統文化を訪れる人々に伝える活動をしています。
出陣日と呼ばれるパフォーマンスの日は月ごとに設定されており、通常の活動時間は午前11時から午後3時頃まで。
天候やその他の事情によりスケジュールが変更される場合もあるので、訪問前に最新情報をチェックしておくのがおすすめです。
義直ゾーン

尾張徳川家初代藩主・徳川義直公にちなんだエリアで、「伝統・正統」をコンセプトにした木造純和風建築が特徴。
ひつまぶしやみそかつなどの名古屋めしの名店や老舗飲食店が並びます。
義直ゾーンでは、尾張徳川隊の徳川義直と忍び衆による迫力ある演武を実施。
質実剛健な初代藩主の姿と、アクロバティックな忍者パフォーマンスは必見です。
運が良ければ、数量限定の「殿カード」や「忍び衆カード」をゲットできるかもしれませんよ。
水那です。
— 尾張徳川隊【公式】金シャチ横丁 かたりべ (@yoshimuneninja) February 16, 2025
本日は、 #金シャチ横丁 に出陣してきました。
天気がぽかぽかしていて、心地よかったです。演武日和でした
ご挨拶させていただいた方々、ありがとうございました!#金シャチ横丁#尾張徳川隊 pic.twitter.com/lZ63VsLXVB
宗春ゾーン

第7代藩主・徳川宗春公にちなんだエリアで、「新風・変化」をテーマにしたモダンな和風建築が特徴。
和風ラザニアや台湾まぜそばなど創作料理や革新的な名古屋めしが楽しめます。
宗春ゾーンでは、自由闊達な藩主として知られる徳川宗春とその一行による「おもてなし行列」が催されることも。
質素倹約の風潮に逆らい、芸能や祭りを奨励した七代藩主の気風を感じられます。
徳川宗春じゃ。
— 尾張徳川隊【公式】金シャチ横丁 かたりべ (@yoshimuneninja) June 2, 2024
雨の金シャチ横丁も悪くない。
里の者たちとじっくり話が出来わしは楽しかったぞ。そなたはどうじゃ?
わしらは雨が降ろうが槍が降ろうが演武を楽しみに待っておる里の者たちのためギリギリまで判断を待つ。小雨くらいならやるぞ!安心せい。#金シャチ横丁#徳川義直宗春と忍び衆 pic.twitter.com/4Kb8BjBlog
名古屋城は歴史的建造物だけでなく、自然やイベント、グルメまで幅広く楽しめる観光地です。
訪れる際には季節ごとの魅力やイベント情報をチェックして、名古屋の歴史と文化を堪能してみてはいかがでしょうか。
【名古屋城】400年の歴史と名古屋グルメを楽しもう!
本記事では名古屋城の歴史と見どころについて、下記の内容を紹介しました。
- ●歴史的背景:織田信長も居住した那古野城の地に、1610年に徳川家康の命で築城された名古屋城の歴史。
- ●建築的特徴:層塔型構造の天守閣、象徴的な金鯱、巧みな防衛システムなど、当時の最先端技術が結集。
- ●本丸御殿の価値:2018年に復元完了した本丸御殿は、武家建築の最高峰として歴史的価値が高い。
- ●現代の復元プロジェクト:木造天守閣の再建計画は2032年度完成予定。
- ●観光の楽しみ方:四季折々の自然、おもてなし武将隊、金シャチ横丁のグルメなど多彩な魅力。
400年以上の歴史を持つ名古屋城では天守閣の木造復元が進む中、本丸御殿や二之丸庭園で江戸時代の風情を体感できます。
金シャチ横丁でひつまぶしや味噌煮込みうどんなどの名古屋グルメを味わいながら、歴史と食文化の両面から名古屋の魅力を堪能してみてはいかがでしょうか。
金シャチ横丁について詳しくは公式サイトをご覧ください。